きらめき認知症シスターの和賀育子さん(茨城)が、子供塾にてキッズ紙芝居を使って認知症のお話を♬
介護の専門職である私たち一人ひとりが、未来を担う子ども達に伝えていくこと、大事ですね
きらめいてます(^○^)
以下、和賀育子さんの投稿、原文そのまま掲載…
今日は、かわわだ子供塾 にお招きいただき、キッズサポーター養成講座をやらせて頂きました。
電車の中で杖をついている人や妊婦さんに席を譲ろうという感覚と一緒で、認知症を正しく理解することで「もしかして困っているのかな」と言う直感を養ったり、サポートの仕方を学ぶことで、席を譲るに匹敵する、対応ができるようになれれば良いのです…当事者の困りごとを少なくすることができます^ ^
今日は一つ考えていたことを投稿します。
“サポーターを要請する”ということに対し、「サポーターじゃない、パートナー養成が必要だろう」という声もあります。
色んな声があるのも当然。
でも、まずは正しい理解をして頂くためのサポーター養成なので、そこに拘らなくても良いと思います。
私なりの解釈は以下の通り。
例えば、私は父を癌で亡くましたがし、私にとって「癌の父」ではありません。そんな表現も感覚もないです(治療を受ける段階の時はもちろん病気に焦点が当たりますが)。「大切な父」なのです。
それと同じに考えると、
日常の中で「認知症」と言う病気に焦点を当てすぎてしまうと、関係性に変な色が付いてしまうのではないでしょうか。認知症の○○さんではありません。
そして、その当事者が誰であるの関係性の中でサポーターになったりパートナーになったりバディになったりするのではないでしょうか。
大切な人、仲間がそうなった時でも、心を共にする存在であり続けたいと想うばかりです…
病気によって、関係性が大きく変化することを誰も望んではいないはずです。